石狩弁天社の禮拜器
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日立地域から運ばれた変成蛇紋岩

石狩弁天社の禮拜器

正面から見た石狩弁天社:鳥居の後ろにある三角の屋根の下に禮拜器が置かれている.【写真: 石井 正之】
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向かって右側の禮拜器:土台石も町屋石でほぼ無傷で残っている.中央を水平に走る白い筋は滑石である.【写真: 石井 正之】
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町屋石の組織:黒い針状の結晶はかんらん石である.【写真: 石井 正之】
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社に向かって左側禮拜器の側面:「弘化二年乙巳八月吉日/石工 水府港 大内石可」と彫られている.こちらの禮拜器は上部が一部欠け,土台石はコンクリートブロックである.【写真: 石井 正之】
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石狩砂丘の先端近く,曹源寺のそばにある石狩弁天社の禮拜器は,町屋石(まちやいし)で作られている.町屋石というのは,茨城県日立市西部造宗(ぞうそう)付近から常陸太田市長谷付近にかけて分布する変蛇紋岩体中に産する石である.この石は,超塩基性岩が蛇紋岩化し,その後,もう一度変成作用を受けて,かんらん石・直閃石・斜方輝石が形成されたものである.また,滑石も含まれていて石材としては加工しやすかったものと考えられる.常陸太田市を南北に流れる里川左岸の町屋付近を中心に採掘されていた.

禮拜器は社の手前の左右に置かれている.向かって左側の禮拜器には次のように彫られている.

 正面:禮拜器  右側面:弘化二年乙巳八月吉日(1845年9月)/石工 水府港 大内石可(*茨城県那珂湊港の水戸藩御用石工)

社に向かって右側に置かれた禮拜器の左側面には,梶浦五三郎ほか願主5名の名が彫られている.これらの人物は,福山,箱館の問屋である.

なお,石狩市年表に依れば,1845年は石狩川で洪水があり石狩場所請負人・村山伝次郎が治水工事を始めた年である.

【執筆者:石井 正之・嶋岡 博】

既存の指定など

石狩市指定文化財第1号/指定年月日:昭和42(1967)年12月22日

所在地

石狩市 弁天町18

参考文献

石狩市年表<http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/index.html>→「石狩市の概要」→「石狩市年表」
嶋岡 博・船岡宏行(1999)阿武隈構造帯の変成蛇紋岩.阿武隈・北上山地の地質構造発達史,313-328.
船橋三男先生追悼文集刊行会(2000)ここに立つ−船橋三男先生追悼文集−.262−263.